それの前兆だったのかもしれない。
45歳で負け組に転落した俺様は新聞屋である。昼間は比較的暇だったりする。
リーマン時代は一人住まいで、その生活環境は目を覆わんばかりであった。タバコとコーヒーで体をむち打って、夜遅くまでコンピューターと計測器に立ち向かった。外回りで外食が多く社員寮でもコンビニ弁当をビールで流し込んだ。23時まで仕事して、2時までは豚骨ラーメンを主食に角煮でチューハイをしこたま飲んだ。翌朝にはニンニクの臭いを振りまきながら8時には出社していた。まず、精神の方がぶっ壊れた。インド方面を放浪したあげくに田舎に戻った。
よって、新聞屋であり暇な俺は、年老いてますます暇とパワーを余す母親をよくドライブにつれていったりしたいる。
もとより、2,3ヶ月前から腹の調子がわるかった。食欲も緩やかに低下してきた。あまつさえ、食べたものを深夜に戻す様になった。後で聞いた所によると腰が痛くなるのも特徴なんだそうな。これも思い当たる。
「食ったら吐くな。吐くなら食うな。飲んだら吐くな。吐くなら飲むな。」がモットーな私には衝撃的な事であった。
生活環境というかまわりにはホントに年寄りしかいない。ギャル社員にオヤジギャグをかまして嫌がられていたのから思うと隔世の感がある。よって「みのもんた万歳」の親身なオババ連中から食生活を言われるが…、残念でした。うちの年寄りと同じものしか食べてません。朝、一番腹が減るので、カップ麺を食べているだけです。ココイチのカレーは金が無いので月一しかいけません。唯一の楽しみです。ほっといてください。ハイ。
そんなココイチさえ、食べる気がなくなった。代わりにリンガーハットにしたがその夜も腹痛に悩ませれた。その腹痛の頻度が週に一回になり二回になった。食べ過ぎかと思って絶食してみたりしたが、飯を食えば調子が悪くなった。胃がキリキリ傷む。鳩尾(みぞおち)が痛む。(自分の場合、最後まで一般に言われる様に、右上腹部を押されても痛くなかった。)
飯を食えば痛む。吐く。睡眠薬をぶち込んで無理矢理傷み押さえ込む。次に日にはなんとか痛みが収まる。の繰り返しであった。内科に行って見たが多忙なその医師はブスコパンブスコパンを処方し血液を採取した後、次回は胃カメラを宣告した。 そんなこんなで、来週は嫌でしょうがなかたったが胃カメラを飲む覚悟を決めた。
そんな残暑の土曜日であった。うちの母と母の仲良しの友人達が温泉旅館にお出かけになる。60km離れた小浜の温泉旅館である。お昼に出発し長崎市の交通の要所、中央橋で母の友人の「まっちゃん」をピックアップする。この人はミュージシャン。ジャパニーズフォークのシンガーでありギタリストである。この前CDデビューをはたした、いかした彼女である。御歳セブンティー。
かようなお嬢様方を乗せて走るのであるから、運転には凄く気を遣う。発進も加速も停止も全く意識させない様な滑らかな運転である。カーブもなるべく横Gを感じさせない様に気を遣う。正直、胃が痛くなる運転である。
朝から、ただでさえ胃が痛いのに、更に胃が痛くなるドライブである。お嬢様方はいい気なもので、「長崎民謡ベスト30」のCDをノリノリで鳴らしながら、お茶とお菓子で世間のお噂に花を咲かせている。土曜日の比較的交通量が多い国道34号を流れにのりつつもスムーズな運転に神経を集中させる。さもなくば胃が痛いのが辛い。
車は東長崎にさしかかると母は言った。
「あの食い放題の店(バイキング)で食事する。おごるから。」
母よ、親心はありがたいが…何かの拷問ですか?
しかも、その食い放題の店は…どこにあるかも解らない。名前も解らない。電話番号も解らない。住所も解らない。と来た。でも、前に親戚と雲仙に行く途中で入った記憶があると言うだけである。
母よ、そんな幽霊の様な所にどうやって連れて行けばいいのですか?
それでも、「海が見えた。」の「畑の中だった。」の断片的な情報を聞き出し脳内GPSに入力してやっとこさたどり着く。
その店は農家の直売所が大きくなったドライブインの様なところで食堂が併設されている。確かにジャガイモ畑が広がる旧愛野町の道路沿いで視界も開けて気持ちが良い。テラスからは手入れされた芝生の向こうに橘湾の淡い蒼の穏やかな海が広がる。
俺は「いやしいそだち」と言われない程度に元を取ろうとする。バイキングにありがちな油もんメニューであった。結構食べるお嬢様方であるが、私は彼女ら以上に食べる事が出来なかった。ガソリンを補給されたお嬢様方は元気100倍であるが、私は益々胃の調子が悪い。それでもやっと交通量が少なくなった昼下がりの国道57号を流して温泉旅館に送り届ける。
帰りは胃が痛いのを誤魔化すため、マッハで飛ばしてレースカーの様な運転で帰る。
午後遅くに帰宅後、諸事を済ませ、さて夕食であるが、ちっとも食いたくない。知人から入手したエッチビデオもちっとも面白くない。こういう日は寝てしまうのに限る。えーい、面白くない、寝てしまえ、ブスコパンと五苓散と睡眠薬とバファリンとガスモチンと太田胃散をビールで流し込み無理矢理寝てしまう。
…?、…(--;) ウ、……(--;)う、…ギャ〜〜〜〜〜〜〜〜、苦しい、(;>_<;)、痛い、シクシクと刺されるように、猛烈に痛い。みぞおち(鳩尾)が痛い。今まで体験のしたことがない痛さである。
夜中の12時、あと2時間後は仕事である。がっ、我慢だ、明日の朝まで、…無理だ、無理すぎ、今晩は仕事出来そうに無い、て言うか無理です。勘弁してください。
いっいかん、脂汗が。生涯に経験の無い痛みである。これは「かなりやばい。」と感じる。119で救急病院を聞き出し、父をたたき起こして自家用車で地元の某卍病院に連れてけと懇願する。俺の顔より父の顔が青くなる。
深夜の救急は雰囲気が薄ら寒い、すぐに診察したのは若い研修医であった。前から少しは痛かった件、今夜に激痛な件、ブスコパンが効かない件、みぞおちが痛い件を告げると腹を手の甲でぐりぐり押し倒したうえで首をひねった。血液を三斗抜かれて、レントゲンを撮られた。さすが時元の雄の赤卍である。速効で出来上がる。研修医は写真を見ると声を上げた。
「あぁ〜〜〜〜、石がある。」
すぐにCT室に連行され機械に頭から突っ込まれる。
CTから戻ると暫くまたされた。いや痛いから数分しか待っていないと思う。
診察室に戻され研修医は私に宣告した。
「貴方は胆石です。白血球もCRPという数値も増えていて明らかに内臓に炎症があります。貴方は……………………………………。入院です。」
「へ?いや、これから仕事…。」
「………………………………。即、入院です。」
ここで指導医で後の内科主治医M医師登場、人の逃げ口上を封殺する。
「突然、入院てびっくりしたでしょう。恐らく手術でしょう。でも、ここは焦らず治療しましょう。」
「………………………………(;^_^A アセアセ…」
医師が病棟に電話している。
「開いてる?急性胆嚢炎、入院、宜しく。」
差し出された入院同意書にサインするとたん、
ナース達がわらわらと私に襲いかかり点滴の針を刺し、輪液を注入する。点滴の管の二股ソケットから謎の液体を流し込む。病室まで歩く事を主張するも車いすに座らされ拉致連行される。暗いエレベーターホールを自分が自動で動いていく、ああ。車いすなんて初めてだよ。
六人部屋の暗い病室のベッドに寝かされる。そのとたん、薬が効いたのか、緊張の糸が緩んだのか、怠くなり眠くなる。そのままその日中、痛さと怠さとで半分夢うつつであった。
なんだか正気に戻ったのは夕方であった。その間、何度か看護婦さんが点滴を取り替えたり体温とか血圧を測ったりしていたのは覚えている。エバ初搭乗後のシンジ君モードで点滴バッグと天井を眺めていると、
「なんかしらんがエライ事になったな。」
と思うのであった。
携帯の話であるが、驚いた事に最近の病院はマナーモードにすると病室でも使い放題らしい。まあ、携帯の電力程度で誤作動する医療機器も絶対ヤダ、というか、外来のノイズが携帯なんか問題にならん程悩まされたものだが。その程度で誤作動する機械なんざ今時ねーよと言う俺さえ、「ホントにいいんか?」とは思う。
その携帯に母から着信があったので点滴台を引きずってデイルームから電話する。
「母よ、入院した。」
「そーねー、たいへんかったろ。今、痛かとね?」
「薬が効いたので、痛くない。死ぬような病気でも無い。」
「うちの仲間は心配しよっけど、来ても同じやろ。」
「うん、同じ、痛いのは俺、治すのは医者。明後日までの予約だろ?せっかくの温泉ゆっくりして来んね。当座の着替えは親父が持ってきた。」
「じゃ、ゆっくりすっけん。明後日には来るけん。」
…ナイス我が母親、泰然としたものである。
雇用主に電話、うんざりした声をされるも暫く行けない旨を伝える。ざまあみろ、俺様の有り難みがわかったか。
病室は当然といえ全員男性、平均年齢高し、全員深刻に重病の様だ。新参ものですけど宜しく。さて、夕食時であるが、当然の様にナースから暫く絶食を申し渡される。だが食事している周りが全然羨ましくない。点滴のせいか腹が減らず、薬のせいか食欲もない。暫くしてサブの点滴薬を追加される。輪液の二重連だ。飯を食えないので、同情されての配慮かと思えば抗生物質であった。
持参したP科の睡眠薬を飲んで早々に寝る。まだ、意識のレベルが低いのかいつもよりあっさり寝てしまう。
月曜日で本格的に病院が始動し始める。
病院の一日というのはこうだ。
6時00分 起床。廊下の電灯がつく。ほぼ全員がまだ寝ている。暫くすると看護婦が来て血圧と体温を測る。該当する人は点滴バッグの交換がある。尿検査がある場合も。
7時頃 担当ナースの違いでこの頃血圧体温を測られる場合も、というか全員を起こす意図でもあるようだ。7時半には朝食の為のお茶が出る。
8時頃 朝食がでる。内科なのでベッドまで持ってきてくれる。無論、絶食の俺には出ない。暫くすると、看護婦が下げてくれる。どれだけ食えたかチェックされる。朝食後の服薬。歩ける人は洗面に出かける。
9時過ぎ 朝の注射タイム☆!。自動点滴機で管だらけの人はここで機械を調整する。体調をチェックされる。この後ナースの夜勤昼勤の引き継ぎがあるようだ。ここで大量の血液を抜かれたりする。
10時過ぎ 朝のナースタイム。日勤の看護婦が挨拶に来る。挨拶ついでに体温や血圧を測って行く。昨日何回お小水お通じがあったか聞かれるので、此処ではっきり元気よく答えないと退院時期が延びるとか。検査がある人はここいらで呼ばれる。この時刻になると寝ている人多し。
12時頃 昼食。お昼のワイドショーに嫌気がさすのもこの頃。
13時頃〜夕方まで。 お昼の注射タイム☆!。長い間絶食していると、薬投与で来た看護婦の弁当のおかずが僅かな臭いで解る。症状により、毎時体調をチェックされたり、点滴バッグを交換されたりする。面会の隣の人の人生模様が全公開で昼メロの10倍面白かったりするのも、昼下がりの特徴。が、薬が効くと俄然眠くなる。が、此処で寝てしまうと夜ねれなくなる罠。
18時頃 夕食。それが終わると、夜勤の担当看護婦がやって来て体調をチェキしていく。
19時頃 点滴のバッグを交換されたり、注射とか薬剤を投入されたりする。とにかく何かにつけてチェックが厳しい。
22時 消灯。結構遅い。
深夜 あちこちでナースコールが鳴り響く。自動点滴機の薬剤切れの警告音が病室に鳴り響いたりする。夜になって痛くなりうめく人も多い。いびきは気にならない。
お昼に主治医M医師の公式見解あり。
「白血球とCRP値は上がってるが、他の胆嚢の数値はさほど上がっていない。また、右上腹部を押さえても痛がらない。よって貴方の胆石はサイレントストーンの可能性がある。よって胃カメラも使って他の可能性もさぐる。一応救急指定なので受け入れたけど、様子を見て週末には退院して貴方の主治医に診て貰ってください。」
意訳:「お前の場合、胆石の典型的症状じゃないから確定診断できないよ。のんびり症状が確定するまで待ってらんないよ。救急指定だし。第一、うちはガン専門病院の様なもんだし、もっと重病人が空きベッド待ってる。だから早く退院して、出てください。混んでいるのだから。」
少しむかつくが、確かに親戚知り合いガンで死んだ人は皆此処なのだ。もっと明るい綺麗で便利で賑やかな所にある行きつけにかかりたいので、素直に「ハイ」と言う。
なんと、朝食が出た。おかゆさんで、おもゆである。味噌汁具なし、ヨーグルト、オレンジジュース。食ったと言うより飲んだ!だったらステーキ出せよなぁ!たいしたことないんなら早く出して!旅行が二泊三日な訳わかった。秋田。
ここで看護婦さんを観察する余裕も出てくる。ピンクのナース服を期待していたが普通のナース服、白。ここで卍病院の看護婦さん豆知識。社員章は楕円の3センチくらい。白地に草模様(緑と黄色)の縁取りに赤クルスだが、そこに係長だの主任だの役職名が書いてある。何も書いてなければヒラ。
母が来て入院に必要な用具や着替えをそろえてくれる。さすが、である。
昼は片栗粉をお湯で溶いたような物三種類とリンゴジュースにゼリーにうどんになり、夜にはおかずが普通食になる。無論、全部たいらげる。まあ、なんかでも腹が張るが良しとしよう。この日怪奇いや皆既月食。隣の放送局のビルの間より見える。
点滴が朝から中止になる。朝から飯をもりもり食う。少し腹は張るが気にしない。それでもちょくちょく看護婦さんが体調チェックに来る。血圧とか測られている間に、半袖の隙間から脇の下とか下着とかブラを確認する。片目で。とんでもないセクハラ野郎である。<自分。看護婦さんの中に目が大きい沖縄美人発見。結構、地元なので地元系美女ギャルもいる。丸顔で目尻が細い。いわゆるお多福である。
昼飯も勢いで吸い込む。と言うか食事が最大の娯楽である。テレビのワイドショーはつまらないし、父が私の本棚からひっつかんできた本が中島義道であった。なんで病室であの暑苦しいおっさんの説教聞かなくてはいけないんだ全く。
それにしても昼食をしてから腹が益々張ってきた。大丈夫であろうか?不安である。その不安は時間と共に確信に変わってきた。昼下がりには、既に腹痛である。みぞおちあたりに凄い違和感があり、痛い。検診にきた看護婦さんに訴えると「様子を見ましょう。」と言われる。
夕食の時間になるが、もうだめである。明らかに痛い。夕食を拒否する。
「あ”〜〜〜〜〜〜〜〜〜だりー。いて〜〜〜。」寝れば治るかと思い早めに睡眠薬飲み、静かに痛みに耐えてきたが、痛みは本格的に激痛に変化した。結構急がしそうな看護婦さん達を遠慮してナースコールは押さなかったがもう限界である。
ナースコール連打!連打!連打!連打!連打!連打!〜〜〜。
看護婦さんがすっ飛んで来る。
脂汗がでる。みぞおちがキリキリ痛い。他は特に痛い所は無いが、とにかくみぞおちが痛い。今朝の空腹はなんだったんだ。痛いよ、なんでだよ〜〜。ざーーーーけんじゃないよ。 痛い。痛い痛い痛い。有家くぁwせdrftgyふじこlp;@
看護婦さん達が【審議中】になりドクターに連絡を取る。【審議終了】で点滴再開、輪液を繋がれ、点滴管二股ソケットより痛み止めを注入される。モルヒネ様物質の事。看護婦さんより「やせがまんは禁物」と言われる。実感する。だが、コレガ効いた気がしない。深夜だが、ナースコール連打!連打!連打!連打!連打!連打!〜〜〜。
「座薬を入れましょう。」と言われる。
(--;) ウ なになに?ざ・や・く?座薬?もしかしたら、お・し・り、お尻の穴から入れるあれデスか?それ、なんて言うプレイですか?いや、そんな恥ずかしい事自分で、と言うも「自分で大丈夫?」と言われる。パンツをおろす事を命じれ居直っておろしたら間髪を入れず尻の穴にねじ込まれる。あ〜。
痛みが取れると言うより頭がボーとなる。後で聞いたら「ボルタレン」なんだそうな。そのまま、その夜はお花畑モードに突入する。
8時過ぎまで寝ている。夜から朝にかけて頻繁に看護婦さんが来てチェックされていたのは覚えてる。天使さん妖精さんの世界から人間の世界に戻れたことを感謝する。尿検査に点滴台を引きずってトイレに出かける。ベッドに戻ると血液を多量に抜かれる。
「オタク、地下室にドラキュラ飼ってなくない?」
「ドラキュラだと、これだけでは足らないね。」と言われる。
そうこうするうち、昼勤の担当ナースがやってくる。
それで、担当茄子だが、ザックバランである。
「担当ナースのIでーす。きゃ(*^ー゚)ノ ?遊びに行っていたから今日になっちゃった。宜しくネ。」と一方的にまくし上げる。よく見れば日焼けしている。海外か?
「うぃーす、宜しく願いマス」と答えるや、
「今日は点滴の数が多いからネ。早くしようね」と点滴ターボ加速。楽だと言ってベッド脇の椅子に座って処置を始める。また明日来るね。と愛嬌降り撒いて、5時で速攻で帰っていった。こういうB型捌け過ぎの嬢はエロゲの萌えキャラにいそうです。(いない)
今日は胃カメラ(GIF)である。一昨日の激痛騒ぎで絶食中であるから、昨晩から水が飲めないだけではある。
が…が…が…、嫌〜〜〜〜〜〜〜〜嫌だ〜〜〜。嫌すぎる。前に一度胃カメラを飲んですご〜〜〜〜〜〜〜〜く辛い思いをしている。頼むから、これだけは嫌だ。頼む。考えたじぇでぐあkっl:gfjgkhl:」p@。と言っても、二度も仙痛発作を起こしている患者に拒否権があるわけもなく、大人しく検査室にしょっ引かれる。
2階の内視鏡室にやって来たが既に「お仕置き部屋」とか「折檻ルーム」に見える。
点滴管に繋がったまま検査室に呼ばれる。検査室ナースに歓迎されるや否や、「胃カメラは初めてか?」と聞かれる。「二度目だが思い出すのも嫌だ。」というと「大丈夫ですよ。」と言われる。テキトーな事言うんじゃない。
管から直接「楽にする薬」を流し込まれる。次に胃の薬という変な味の薬をコップに少し飲まされる。うげぇ。此処で主治医M医師登場、内視鏡セット前のベッドに寝かされる。口の中にキシロカインを噴射される。うげぇ。のろかへんれす〜〜。抗議しようと口を開けるとマウスピースを口に突っ込まれる。うぽぽうは。看護婦さんが後ろから体を押さえる。バックを取られたと思ったら主治医M医師が「では、始めます。」と言い喉に太い奴を差し込む差し込む。
「うげ、おご、グエェ〜〜〜〜オゴォラ」、く、苦しい、大暴れしたくとも点滴で繋がれたうえにバックを取れている。私の中の内視鏡は「グゴォオオオ〜〜ガポ」と不吉な音を立てている。「(^o^)/ハーイ、力抜いて。」と言われるも、無理です。
「では、胃の中に入ります。」オイ。まだだったんかよ?
オゲァ〜〜〜〜、コポコポと言いながら体のなかに太い管が入ってくる。お、さっきよりはちょっと楽か?やっとこさモニターを見る余裕ができる。薄い肌色である。結構滑らかである。とやには医師Mは「詳しく見るからね。十二指腸まで行くよ。」と言い、管をぐりぐりと捻くり回す。
「グエァェ〜〜〜〜〜〜オエ〜〜〜〜〜〜〜ガポガポ」マジでマジで胃から体が裏返る。やめれ〜〜〜〜。看護婦さんは「大丈夫大丈夫、力抜いて。」と背中をさすりつつ、しっかり体をホールドしている。「うん〜〜〜mass、ガンも無いようだし、胃炎もそう無いようだね。」と言いつつグリグリ体の中をかき混ぜつつ写真をカシャカシャ撮る。散々、永遠と思える時間体が裏返る思いをして、「抜くよ。」と言われる。「グニュニュルニュル〜〜〜」胃から口まで変に気持ちの悪い内臓感覚と痛さが駆け上がる。
ふえー、やっと終わった。魂が5分ほど抜ける。
ホントは今頃、家に帰っているはずなのに、私はなんでベッドでのたうってるんだろ。
連日の点滴、抗生剤の攻撃で体がだいぶ楽になった。当然、絶食に戻ったが腹が減らないし喉も乾かない。不思議なものである。今日は防災の日であるな。どーせ、石原のバカがナチスのベルリンパレード宜しく防災訓練するんだろうな。極左のお友達永六輔の土曜ワイドは聞いたら面白いだろうな、家のPCでピールキャストで聞けるのにな。と思いつつ気怠い一日を過ごす。いや、気怠い。このところ寝てばかりいるからだろうか?それでちょっとかぜ気味である。
さて、月曜の検査まで暇だな、どうして退屈をやり過ごそう。と思ったが、そうは問屋が卸してくれなかった。
三度目の疝痛発作がやって来た。
消灯後、突然、激痛がやって来る。今度は躊躇なくナースコールを押す。
痛い、痛いの何のて、今までとは格段の差がある。汗が噴き出し、文字とおり 「のたうちまわる」 当直であった主治医Mが今度ばかりは飛んで来る。腹をグリグリ押して、特に右脇腹をまさぐる。が、違う、胆嚢が何処にあろうが、俺が痛いのはみぞおちなんだよ。何とかしろよ。死ぬほど痛いよ。気が遠くなりそうだ。と言うか遠くなりたいです。
もう、何でも良い。どうでも良いですから楽にしてください。マジで。チェキに来た夜勤の担当B型ナースに「いだいです。くるじいです。」と訴える。
【薬物注入中】ホゲ、(´Д`)…【座薬注入中】(゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャ。
苦しさと痛みと薬の幻惑で、またぞろお花畑に連れて行かれる。
意識が定期的にON・OFFを繰り返している様だ。看護婦さんが懐中電灯片手に何かごそごそやっているのを断片的に覚えている。窓の外が明るくなるまで長いようで短いようで長い。(なんのっこちゃ)やっと明るくなった室内でも、意識のON・OFFで段階的に部屋が明るくなる。(我ながら便利な意識だ。)。
やっと目が覚めるも9時。点滴にサブのバッグをつけられる。が、まだ苦しい。痛い。みぞおちが痛い。誇張でもなく滝の様な汗をかく。惚けるとか一切無しで痛い。うんうん苦しむ。というかのたうちまわる。定期的に痛み止めと座薬を定期的に投入される。母が見舞いに来るも、まともに会話すら出来ない。世界を呪う余裕もなく。ただ痛さに翻弄される。
夕刻にはやっと痛みから何とか解放される。抗生物質がチエナムになる。夜になる。テレビは面白くない。さっきから吐き気がするが、何も食べていない、飲んでいないので出てくるわけが無い。無いが、たまらない。我慢できない。ナースコールを押して看護婦さんを呼ぶ。「吐き気がしまうzjぁwせdrftgyふじこlp;@ゴボゴボ…」見てる前で胃液を吐く。
担当B型ナースと夜勤のナースがかいがいしくリネンを変えて、汚した服まで濯ぐでくれた。まさか吐くとは夢にもおもわなんだ。痛み止めの副作用だと思う。
体調は良くなった。抗生物質漬けのせいか。やっと痛みが無い朝を迎えられる。
今日はMRCP検査である。体の中で胆嚢と胆管を見たいらしい。MRCP検査とは(以下、コピペ改変)「MRI」=「人間を大きな磁石の中に入れて体の中を気象レーダーの様に電波サーチして体の断面を映像化する機械」を使って胆管や胆嚢や膵臓を検査する方法。造影剤として鉄液を使う。
よって体に金属さえついていなければ寝てるだけの楽勝な検査である。検査前に飲む鉄液はグレープジュースの味である。不味い。銀歯は問題ないの事。
でっかい輪っかのトンネルの中にベッドが入っていく。閉所恐怖症の人は辛いかも。検査されている間、深呼吸を指示される。「ビ・ビ・ビビビッビビイ」「コ・コ・コ・コ・コ・コ」と言う音と共に体の一部が微妙に引っ張られる。ちょっと面白い。20分程で終了。狭い所が結構好きな俺は楽しかった。
さて、夕方になり研修医が問診に来る。明日DIC−CT検査のためである。その検査とは、CTスキャンはレントゲンを四方八方から撮るものだが、胆嚢や胆管をヨードの造影剤を入れて写り安くするそうだ。そんでヨードのアレルギーの人が多いらしく、そいで事前チェックするのこと。
やれやれ、今晩は寝れるわいな。と思ったのが、またみぞおちが痛くなる。激痛に発展しそうである。今回は早めにナースコール。医師Mがやって来て「手術前提で動いてます。」と告げる。だったら早くそうしてください。ここで痛み止め注射と抗生物質追加。ダラシン。
早めに手を打ったおかげで逃げ切り成功。痛み止め睡眠薬先制攻撃アタラックスP静脈注射で痛み君意識君さようなら、また会う日まで。
はあ、今日は無事に目が覚める事が出来たぞ。やれやれ。
今日も元気だ点滴うまい。体調が戻ると少しの空腹と喉の渇きがやってくる。
DIC−CT検査なので看護婦さんにレントゲン室に連れられいく。閉鎖されていた空間のいくつかあるレントゲン室がCTの前室になっている様だ。
まず、前振りのレントゲンを撮られる。放射線技師のヤングメンが人様をちょいちょいて指を四本使って位置を指示する。今時の若者らしく嬉しい。そこにレントゲン室ナース登場。ハリウッド映画に出てきそうな、「太めの面白オババ」である。造影剤の点滴が始まる。なんとこれが小一時間かかるそうだ。
ここで退屈しのぎかCDをかけてくれる。女子十二楽坊。あとの選択肢は、ポールモーリアと童謡集の事。時々体調を聞かれるが問題ないと答える。その間、私を観察しつつ、書類とPCに格闘していた。点滴が終わり、更にレントゲンを撮られてCTに乗せられる。少しCTが動いたら、技師とオババが【審議中】になる。そして、「一時間後にまた来い。」と病室に返される。病棟のナースによると、たまによく写らない事があり、そのときは一時間ほど待つのだそうだ。一時間後訪れると今度はさくさく終わる。
夕刻、検査結果を抱えた主治医M医師登場。やはり胆石の可能性が高いそうだ。CRPが高くて熱もある。胆石の確定診断はできないようだ。まあ、石が画像に写っていて、これだけの疝痛発作と血液数値から手術は避けられないようだ。手術しない選択肢もあるがリスクが高くて危険な賭けだと言っていた。いわゆる開けて診ないとわからないて奴らしい。ガンや胃潰瘍などの可能性はほぼ消えたそうだ。手術に同意する。
一日体調が良く、することも無かった。やっと抗生物質が効いている実感がある。最近食事抜きのせいか、汗のせいか、それとも薬の副作用か、肌が凄く荒れて困る。ていうかかゆくなってきた。ぼりぼり。あ(/--)/、アレルギーの様に発疹になっている。皮膚科に連れってもらう。別に心当たりは無いし…。皮膚科の外来に行き女医さんに診て貰う。なにが原因だか「わかんない。」と断言される。抗アレルギー剤とステロイドの塗り薬をもらう。
朝から夜までテレビは朝青龍の話題で持ちきりである。いい加減、日本のテレビて他にやること無いのか?おれが朝青龍だったらとっくに逆ギレしているが。
外科で手術打ち合わせがある。外科外来に連れて行かれる。外科主治医N医師登場する。画像検査の写真がずらりと並ぶ。MRCPの胆嚢の写真を示し、
「胆管は写ってるけど、本来写ってる筈の胆嚢や膵臓が写ってないですね胆嚢が石で詰まって造影剤がまわってないです。このCTの写真を見ると解るけど、胆嚢が腫れています。胆嚢の入り口の所に2センチくらいの石が詰まってます。よって貴方の胆嚢は機能していません。もう、壊れてしまっているので取るより他ありません。」
「はあはあ〜。」
ここでN医師はポケットからチラシの裏を取り出す。ホントにスーパーのチラシの裏だ。そこに手術の予定がびっしり書いてある。
「まあ、本来はいったん退院して手術前に入院して貰う所ですけど、貴方は(重傷なので)出す訳にはいかないし…。ま、月曜から外科に転院して貰います。なるべく早く手術します。」手術の詳細はまた後で説明があるそうだ。並んでいる人達のオーラを感じたのでスルー。は〜〜、手術か、とにかく楽になればいいが…手術より、麻酔の針が痛くないか怖い。
さあ、今日も静かな一日でした。夜の点滴交換も終えた消灯前であった。お腹にガスが溜まる。外に出てガスを出そうと起き上がろうとしたとたん、意思に反して実が出る。ゲーリークーパーです。あぁ、恥ずかしい。リネン交換して貰う。これはかなり恥ずかしかった。
ここしばらくタバコを吸っていない。禁煙成功、いまミンザイ減らす練習中。今日は尿と血液検査。他にはすることなにもない。体も楽である。断食は続いてるが、ポカリを飲んでいれば空腹も乾きも苦痛では無い。不思議な感覚である。機械の体になるとはこの感覚なのだろうか。(違)。ここしばらく苦痛が無い。苦痛が無いて、素晴らしい事だ。
お昼下がりより、お隣の病室の重病の人に心電図だの良く解らない機械だの重装備になる。こないだまで歩いていた気もするが。看護婦が付きっきりでベッドを親族が囲んで明らかに「あの世オープンリーチ」である。
親族達はベッド脇で【審議中】である。デイルームでは病室に入りきれない人がお茶とお菓子を広げて【ビクニック中】20人近くいた。夕方になっても、まだいる。よく見ればょぅι゛ょからょぅι゛までいる。なんか親族宴会場の様にも見える。その病室の前を通らないとトイレに行けない。非常に重苦しい雰囲気の中をなるべく目を合わさない様に点滴台を引きずりながら、こそこそトイレに行く。
ヘッドホンで阪神の試合見ていて終わったので暫く携帯で胆石の話し読んでいたらおばはんが泣き叫んでいる。さっきの重病の人が亡くなっらしい。誰か男性が「皆さんご苦労様、てっしゅ〜」みたいな事言っていた。非常にトイレに行きにくい。
ていうか、ゴラァ!一般の病室で死ぬんじゃない。お気の毒だが、親族の皆さんのご心痛は如何ばかりかだが…頼むから、それ以上は寺でやれ。同じ病室の4人はガン患者なんだ。空気が重くなりずぎ(@_@)。
手術は水曜日、退院はわからないが来週始めらしい。
今日は平穏だった。この平穏がいつまでも続いて欲しい。 担当B型ナースが処置中に漏らした所によると、手術は全身麻酔らしい。ネットの情報では通常の入院は2〜3日だそうだ。点滴のペースが早くなる。なかなか落ちなくて溜まった輪液パックを在庫処分する気らしい。
早朝から、処方されても体に入れきれなかった在庫の薬をターボ点滴される。終わった端から、から一端ルート(点滴の針)を抜かれる。外科で入れ直すそうだ。少ない持ち物を持って礼を言う暇もなく外科病棟に案内される。内科の病棟よりは少し騒がしい所だ。看護婦が来て点滴を再開させる。
まだ朝青龍の話題をやっているテレビを眺めていると担当医がやってくる。
が…。
取刃医(指導医)と若い医師がダブルで担当医なのだが、困った事に若い医師がウラワカキ女医さんです。萌えナースを期待していたがこれは盲点だった。結構かわいい。彼女に全裸はおろか、体の中まで見られると思うと別の意味で萌える。(…おいおい)
その解説によれば、手術は水曜日退院はわからないが週末か来週始めらしい。腹腔鏡手術といって体の一部に穴を開けて手術をする。ほぼ一時間で終わり、体の負担は最小だがリスクはゼロとは限らない。その場合は必要な処置をする。癒着が酷い時は開腹手術に移行する。貴方はその可能性が高い。手術の時、珍珍込みで5本は管が通るとか。全身麻酔は「怖くないよ。」の事。
レントゲンとか心電図とかの検査がある。
深呼吸の練習も説明されたが、まじめにやる気無し。
売店まで、T字帯(ふんどし)を買いに行く。うぷ。これを付けるのか…。かなり恥ずかしい。本来は下剤を一升のむのだそうだが、連日の断食のおかげで免れる。明日の浣腸もしなくて良いそうだ。俺様の処女貞操は守られた。(違)。そのほかタオルだの前開きのパジャマなど母がそろえてくれる。
手術前日の筈なのだが全然実感がわかない。テレビはまだ朝青龍の話題をやってる。テレビの視聴者はよっぽど飽きないのか馬鹿なのか、それとも昨日やっていた話は忘れてしまうのか。
午前の早めに「手術後室」に移動になる。此処は手術前後の患者が入ってる。吸入とか酸素の設備があり、心電図など完備されている。部屋も広めで施設も新しく明るい。但しテレビが無い。簡易ICUか。
点滴の抗生剤が無くなった。いつもの輪液とも種類が違う。かといって私自身は至って暢気である。薬で体調は悪くない。というか緊張感まるでゼロ。それでも手術に向けて着々と準備が揃っていく。
「弾性ストッキング」とやらの説明がある。手術時足に穿く。ストッキングと言ってもスポーツ用のサポーターの様な物である。長い間手術で寝ていると足などに血が溜まって血栓が悪さをするらしい。いわゆる「エコノミークラスシンドローム」対策だ。穿き方の説明がある。体重の測定があった。入院してから5kg減っていた。その後、入浴が夕方ある。
処置室に呼ばれる。腹の毛を剃るためである。犬の様に腹を見せて寝っ転がる。これでもうプレイ感満載である。(何のプレイだ?)看護婦が女性の美容用のバリカン(きれいなおねいさんて奴だ、松下電工の)でじょりじょり剃られる。腹だけで珍珍の毛は死守する。ちょっと残念なきもするが。(゚o゚)ヾ(--;オイオイ...その後、へその中を看護婦がオリーブオイルで掃除してくれる。くすぐったい。
麻酔科の若い研修医が来た。
既往症やアレルギーの有る無しも事細かく聞いて行く。熱心に解りやすく説明してくれた。麻酔は前麻酔、痛み止め、眠くなる麻酔、そして筋弛緩剤の順番で投入されるそうだ。筋弛緩剤では呼吸も止まるので気管に管を通して人工呼吸する。体温から酸素量、水分から全てを麻酔医が管理するそうだ。場合によっては輸血もあるらしい。熱心に痛みを取る事に安全について語っていた。
明日必要なアイテムをベッドサイドのラックの上にそろえて、ワクテカしながら寝る。
さて、手術当日なのだが、全く実感がわかない。
漫画かドラマの様な救急車で運ばれての緊急手術なら実感が沸こうものだが、薬の点滴のおかげかこの数日体調が良いので全く実感が沸かない。これから飛行機に搭乗して海外旅行くらいの緊張感である。
朝はいつもの様に目覚める。テレビが無いので退屈ではある。9時も過ぎれば4人部屋である隣人に嫁さんとおぼしき人が見舞ってる。自分は筒井康隆の短編集を読んでいた。
ルートと言って点滴の針の刺し直しがある。手術中は大量に一気に薬剤投入してみたり輸血もありうるので太い針でないと都合が悪いの事。子供の頃刺された凶悪に太い針を想像するもプラスティックの曲がる思ったより細い針である。輪液がいつもより勢いよく体に入っていく。
看護婦が手術着を持参する。着替えろの事。ベッドの上で全裸になって、T字帯を付ける。うわぁ、コレは恥ずかしい、というか自分てセクシーじゃない。いや、違う。ちょっとヤダ。というかかなり嫌だ。仕方がないので手術着も着る。緑の厚手のパジャマで体の脇がホックになっていて簡単に外せる様になている。なるほど、これは外せるから点滴したままでも着やすい。
執刀医が顔色を見に来る。「今日は頑張りましょう。」とポンと肩を叩くやいなや速効で何処かに行ってしまう。いや、頑張るのは貴方だ。俺は寝るだけだ。
点滴バッグを替えにきた担当看護婦に聞くところによれば手術開始は4時くらいの事。それまでは至極暇である。
仕方が無いので携帯をかちゃかちゃ弄っている。光電社製の医療機器は携帯くらいじゃびくともしないらしい。右の手の甲に点滴針がついているから手がちょっと不自由である。
となりの見舞い妻がとなりのオジサンに言う。
「阿部首相が辞めたんですて。」
え?マジですか?国会始まったばっかしじゃ無いですか?いくらなんでも嘘でしょ。真実を確認する為に点滴台を引きずってデイルームのテレビの前に行く。
10人近くの先客がいた。患者は2〜3人で後は手術終了待ちの家族といった所か。テレビは暢気に料理番組をやってる。私は遠慮会釈なしに無言でチャンネルをNHKに変える。いきなりアナウンサーと解説者の深刻な顔が写る。テロップには「阿部首相辞意」キタ━━━━(゚∀゚)━━━━。ホントだ。全員が驚愕の表情を見せる。全員テレビに釘付けになる。
でも、なんでだろう?このタイミングで?テロ特措法は反対だが、せめてそれをケリつけてからにすればよかったのに。14時からの記者会見を見ているが、今にも5歳の子供のように泣き出しそうだ。ここの老人ギャラリーは同情と嘲笑がないまぜだ。
そろそろ3時に近くなって来たので部屋に戻る。自分の掲示板に書き込みをして、携帯でネットをまさぐっていると看護婦がやってくる。
あ、そうか、総理大臣じゃなくて自分の体の危機を忘れていた。
そろそろ手術なので前麻酔を打つの事、子供の頃、近所の内科医で打たれて以来の筋肉注射である。これからは立つな歩くな起きるなと言われる。頭がボーとするらしい。打たれた所を良くもむ。ああ、コレは懐かしい。でも、全然平気である。ホントに効いているのであろうか?。それにしても、全身麻酔てどんな感じなんだろ?手術の間は感覚はあるのかな?(無いです)手術室てどんな感じかな?…。
一時間経った。まだ前麻酔は効いているのだろうか?。と、やにはに、看護婦といつぞやの若い麻酔医がやってくる。
「これから手術室です。」
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━キタ━━━━(゚∀゚)━━━━
体に心電図の電極を付けられる。指にクリップを挟まれる。メガネを外される。歩くを主張するもベッドごと6階の病室から3階の手術室に運ばれる。母が心配で付いてくる。「意識がはっきりしてるから点滴無ければ歩けたね。」と麻酔科医と看護婦さんが喋っている。エレベーターホールには結構人がいる。あ、俺って注目集めてる。ベッドごとエレベーターに乗る。
うわ、映画の様だ。3階のフロアでは、手術後、手術前のベッドが3人ほどいる。をおーさすが大病院。
手術室の重厚なステンレスの自動ドアがお出迎えする。グゥイーン。ここで母はお見送り。
さてちょっと雑然とした印象がある前室である。タグが付いた薬品など医療機器などが転がっている。ここでベッドからストレッチャーに乗り換える。ここで主治医の女医さんも含め病棟看護婦総出で乗り換えさせる。自分で出来るもん。病棟看護婦さんに名前を名乗らされる。取り違えを防ぐ為らしい。
更に巨大な前室を抜け自動ドアーを抜け手術室に入る。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━キタ━━━━(゚∀゚)━━━━キタ━━━━(゚∀゚)━━━━
テレビで見るままの手術室がそこにあった。
更に手術台乗り換える。手術台て結構狭い。部屋は結構広い。結構小さめの無陰灯、モニター群から伸びる電極と管、薬品の山、人工呼吸器の蛇腹、執刀医の顔が見えた。4〜5人はいるだろうか。周りを見渡せない。体が動かせないし、メガネが無いので見えない。
体に電極か付く。足に自動の空気式マッサージ機が付く。点滴の管に機械が接続される。口にマスクが取り付けられる。呼吸が苦しくなると思いきやそうでもない。
ピ、ピ、ピ、ピ、ピ、機械が規則的な音を立てる。「体を固定します。」と言われ、なにかガチャガチャやられる。縛られている感覚は一切ない。恐怖とか全然なく、好奇心の方が先に立つ。
さて、麻酔で寝なかった人はいないそうだが、俺様が記録をつくってやる。絶対寝ないでいてやる。見たい。俺どうなってるか見たい。超興味がある。手術中は実は意識があり、感じていて感覚もあるが覚えていないだけだ。きっと。(仮死状態に人工的になるので感覚はあるわけ無い。)周りを見回そうとしても、体を動かすスペース無し。てか手術台の上だし、ジタバタしたら駄目かな?
周りでは、着々と準備が進んでるらしく、ガチャガチャ金属音がやかましい。
麻酔医が
「痛み止めがはいりまーす。」…へ〜〜〜〜、何ともないじゃん。平気平気。
「眠くなる薬はいりま〜す。」…へ〜〜〜〜、何ともないじゃん。平気平気。ん。なんか、ここはドラマ通り目を閉じてみよう。まだ、まぶた越しに明るいな。音もガチャガチャ金属音が聞こえる。周りはどうなってるかな?目を開けてみよう。…ん、あれ?瞼が開かない、音は聞こえるのに、一体、どうしt「17時15分、」「終わりましたよ。」声がする。
思わず、のり突っ込みを入れる。早!。
意識が途絶えて1秒もたっていない。ここで意識が戻ってから1秒、身体の感覚が戻って来る。そのとたん、意識が戻った事を後悔する。痛い。傷口が痛い。体が重くて怠い。脳内音声処理のマルチタスクが働き出す。画像処理も復活。手術室の様だ。機械音がピ、ピ、ピ、ピ、ピさっきよりピッチが短く鳴り響く。マスクから酸素が流れ込む。麻酔科医が「痛くないですか?」とのぞき込む。傷口が痛いのだが、声を出す気力もない。顔をしかめて左手を横に振る。
実を言うとこの時点で19時45分である。実に3時間強の手術である。腹腔鏡手術なら2時間の18時には終わってる筈である。17時15分は唯一の手術中の記憶である。無論、この時点で腹腔鏡から開腹手術になった事を知らない。珍珍と腹とに管かついて酷い状態なのだが本人はそんな事考える余裕などない。
手術室より運び出される。暗いエレベーターホールに機械の音だけがこだまする。母は上の階で待っていた様だ。主治医の説明をすぐに受けたそうだ。
自分は自分の状態が良く解らず、ただ痛さと怠さと麻酔の影響か寝ているより他ない。病室でも心電図、空気飽和度や心拍体温をモニターされている。看護婦が来て痛さを訊かれる。めちゃ痛いと答えると、痛み止めを注入される。喉が痛い。と言うと(ていうか言葉にならない。ゼスチャー)、「気管挿入されていたからね。」とこれは放置される。
かなり自分が弱っているのが解る。普通に生きて息をしているのが、どれだけ大変な事か実感できた。心電図の点滅と酸素マスクの音だけ聞こえる。呼吸するだけで、傷に響いて痛い。結局、薬で寝かされる。
胆嚢炎、開腹手術、癒着と炎症が重傷。胆嚢壁が肥大化。膿をもって半分腐っていた。直径2cmの胆石(黒色)が胆嚢入り口にカントンし詰まっていて、疝痛を起こした。胆嚢全摘出。
夜が白々と明けてくる。足にはマッサージ機が付いている。マスクは外れていない。呼吸をするたびに傷口が痛い。よってあまり深く息をしたくない。だからマスクから酸素が出てくるのは非常に助かる。呼吸がこんなに大変なのかと思った。
と思っていたら痰がからんでくる。痰を喉から排出しようにも痛い。腹にちょっと力を入れるだけでも痛い。少しずつ排出しようにも痛い。そのうち息苦しく喉の不快もMAXになる。思わず体が反応。ゲホ、ゲホ。ぎゃ〜〜〜〜〜〜〜、いて〜〜〜〜。咳をすれば傷口に激痛が走る。
ナースコール連打する。うがいの指導をされる。旨くうがいが出来ない。というかうがいだけでは痰には勝てない。結局、吸引をして貰う。「いいの?結構苦しいよ?」と言われるが背に腹は替えられない。カテーテルが喉に入ってくる。えずく、ていうかお腹の筋肉が勝手に意思に反して反応する。ゲホゲホ…。(--;) ウギャー、お腹の傷に激痛が走る。
でもここで断念したら何のための吸引か解らない。必死で耐える。5秒くらい。それでもガラスの中に痰が出る。すっきりした。医師よりムコダインを処方してもらう。少しはましになるが、痰を切るのに数日間は往生する。
さて、自分の腹の状態がどうなっているか見てみたいが傷口が痛くてとてもじゃないが動けないし起き上がれない。のぞき込む事が出来ない。自分の珍珍に管がついているのをそう見れるものじゃないが見れない。残念である。しかし変な感じである。おしっこしたいような、したくないような。それでいて体内で小便が生産されるのが実感できて自動で排出されている。不思議だ。
昼前になると、マスクの酸素をしぼられ遂に外される。(楽だったのに)足のマッサージ機も外される。(楽だったのに)。執刀医が見回りに来る。このときやっと手術の経過が明かされる。傷口の様子を見てお腹の管を抜かれる。いきなり体のなかが「ぬるぬるぐにゅ〜〜〜」という痛がゆいような非常に気持ちの割るい独特の感覚を残して管が抜けていく。うへ〜〜〜これはSMを超えている。
更に尿管も抜かれる。こっちは男の最も微妙な気管である。いきなり、「にゅるにゅるにゅる〜〜〜〜〜。」と抜かれる。こっちの内臓感覚の方が強烈である。思わず「☆ぎ@:qklp@+#%&’()」と声をあげてしまう。SMだスーパーSMの世界だ。目覚めてしまったではないか…。
痛いから一人で起きれない。響いて痛い。それでも食事と歩行はさせられる。が昼食は拒否。当然だ。痛くて起き上がれない。腹腔鏡の皆さんと同じメニューを課さないでください。昼から看護婦さんに歩行訓練をさせられる。
まず、ベッドの上で起き上がる訓練。お腹の傷に障らないように、慎重に慎重に起き上がる。やっとベッドの上に起き上がる事が出来た。一端休憩だ。小便に行きたいが痛くて立ち上がれない。屈辱の尿器を使う。
体を拭いてもらえる。すっきりする。
次は起き上がる訓練である。看護婦さんから「ふらふらしない?」と言われる。…少しします。男性看護師(初めて見た)にも二人がかりで支えられやっと病室の入り口まで歩ける。便所まで歩く事を主張するも、「ふらふらしてる。」と言われ病室の入り口から引き返す。
それより、尿意のたびに起き上がれるのが嬉しい。起き上がると傷口も楽で、痰切りも楽になる。
おかゆの夕食が出る。せめてもの義務感で半分を目標に食べる。
その夜は痰切りと傷の痛さに悩まされながらも何とか寝る。
未だに傷口が痛い。痰がからんで痛い咳で痛い。痛いから一人で起きたくない。響いて痛い。それでも食事と歩行はさせられる。朝食に粥が出る。義務感で半分食う。点滴と痛み止めが中止になる。ルートが撤去される。
ていうか、着実に追い出しにかかってる。その代わりの痛み止めがロキソニンてなめてないですか?歯痛じゃないんだ。かぜ引いた訳じゃない。
ベッドの上に座れる様になる。主治医の女医さん登場する。ガーゼを交換する。
「あ〜、よかった。座れてる。全然、動けないと聞いた。」と言い安心して帰って行く。
お昼前には看護婦さんに歩行訓練を要請する。なんとか一人でトイレに行ける様になる。
お昼は完全な普通食になる。がおかずのパサパサのポテトが喉に詰まる。看護婦さんを呼んで大騒ぎする。苦しかった。父母が買ってきてくれた、エヘン虫の「ヴイックス メディケイテッド ドロップ」がかなり喉を呼吸を楽にする。手術後の痰切り対策にはヴイックス、これは発見である。
シャワーを浴びる事が出来るそうだが、まだ足下がおぼつかないので拒否する。
痰と傷口の痛さは昨日よりましであるが、まだ痛い。睡眠薬で寝逃げする。
結構、爽やかに目覚める。薬とか抜けたらしい。
早朝、執刀医の回診がある。私の傷口をみるなり。
「OK、ガーゼ無しでいいよ。」とのたまう。
「今日にでも退院していいよ。貴方次第だけど。」と仰る。
さて、どうしよう。いきなりだけど、これ以上いてもしょうがないし、歩けるし、ネット恋しいし、活字にちょっと飢えてるし、鯖屋に振り込みしないとweb pageが止まるし。秋田し。…
はい、退院させてください。今日。と答える。
親に連絡するといきなりなので驚いていた。私も驚いた。医師と外科ナースステーションに礼をのべに行く。そして内科のナースステーションに礼をのべに行く。内科の看護婦がわらわらと集まって来る。
持参した胆石入りの標本瓶を見せると、
「コレは痛そうだ。」など「こんな立派な胆石は久しぶり見た。」だの妙なほめ方をされる。
さて、退院してからだが、全ての食い物の味が違う。なんか、苦くて塩辛くて痛い味。カリウムの様な味がする。全てが。歯磨き粉まで味が違う。それに全ての犬のように人間の体臭が解る様になった。
更にそれと外気温33℃なのに快適。親は暑がっているのに。冷房が苦手になった。代謝が落ちたのであろうか。
にちゃんねるの胆石スレに書き込みしたら、「早、人間業じゃね〜。」とか言われる。
タバコだって辞めた。今は吸わなくても全然平気である。
1ヶ月ぶりに娑婆にでたが、まだそこは夏の装いであった。
最後に、心配と見舞いしてくれた父母有り難う御座います。
仕事関係者、親族のみなさんお見舞い有り難う御座います。
ネットで励ましてくれた皆さん、有り難う御座います。
親身になって治療してくれた医療スタッフのみなさん有り難う御座います。
ここにこうして駄文をアップ出来たことを感謝いたします。