ダイエット奮闘記
 


2003年〜2004年年初にかけてのお話です。

見出しアイコン ある日気がついて見と…

 春の爽やかな季節も終わり、夏の太陽が待ち遠しい6月のある日だった。なにげなしに乗った体重計みると、ビックリ仰天した。
 「なに、ウソこれなに?オトー(我が家の夫)体重はかってみてよ。あんた?55キロ異常なしだって?。」
 「私80キロもある。なにこれ?。」…

ダイエット前の姿

 嘘ではなかった。よく考えたら太る原因思い当たる事が沢山あった。学校を卒業してから卒業祝いを何回もやり、試験からも解放され、ボーット過ごし友達と旅行を何度となく行ったりしておいしい物をお腹いっぱい食べ太たのだからあたりまえ。
 「どうしよう・・・。最近、膝も痛くなってきたし…。誰か助けてくれ。」と叫びそうになった。
 そこで、私なりに考えたみた。「根本的に治療が必要かしら。」

見出しアイコン 事実は思ったよりも深刻であった

 そこで、人の噂で伝え聞いた病院を訪れてみることにした。
 この町の港が見える所に位置する素敵な場所にある。しかも、膝と太りすぎのこの体を一度になおしてくれる所だそうだ。
 医師達も、某大学病院からの出張組で、とても腕のいいのだそうだ。
 さっそく病院に行って、診察を受けた。色々検査を受けさせられる。レントゲン見た息子くらいの年齢の笑顔が爽やかな医者曰く、
 「両膝とも悪いですね。特に左膝が。まずは膝の大敵、体重を落としましょう。入院はいつでもいいですよ。お待ちしております。…」
 医師の言うには、
 まず、減量と体力で4週間の入院。そして本格的に手術の為に入院をする2段構えなそうな。

 「どうしよう…。」ととまどいつつも、体の重さと膝の痛さはどうしようもない。
ついに、二日後に入院を決意する。

 膝の軟骨がすり減ってしまって、関節の部分がすり減ってしまい、関節どうしが直接、軟骨というクッション無しに当たっているらしい。よるとしなみと、体重と、O脚が災いしているのだそうだ。

見出しアイコン おばばの贅沢病入院

 オトー(夫)に付き添われておずおずと病院を訪れ、「よろしくお願いします。」と言ったのは7月二日の事だった。 四週間の予定で入院する事になる。
 その病院は5階建ての古びた建物ではあった。だが、内部は清潔で爽やかである。窓からの眺望も綺麗に××港が見えて素敵である。なによりも病院の若い看護婦さんたちの笑顔や親切が良い。 早速、身長・体重の測定がある。

 「ゲゲ(゜_゜;)体重81キロ!びっくり…?。」

そこで膝の手術を勧められる。膝の軟骨の再生手術だそうな。

 入院当日から、一日1200カロリの食事が始まった。
 毎朝食事前に体重計に乗り測定して看護士に報告する。食事をにデジカメにおさめて、それか味気ない少ない食事をいただきます。
 最初の一週間は、高血圧もあり減塩7グラムと薄味だ。たまにはこのような食事もいいかと思いながら、ひもじい思いを我満しながら過ごす。
最初の1週間で2キロ体重が落ちました。

 入院生活の日課なのだが、9時から13時の間に2回リハビリがある。足の筋肉強化とダイエットの運動(自転車こぎ)一時間を1セットで何度か続ける。
 病院生活に慣れるつれ、おいしい物を思い出す。
  「あれは美味しかった。あれを食べたら美味しいだろうな…云々。」
 たまらない気を紛らはそうとテレビを見たが逆効果であった。  そこでも私が好きな旅番組と食べ物。アァ・・・おいしいだろうな〜。やっとこさ、我慢我慢で2週間目が経過した。更に1.2kg減量に成功。

 病院食というものが、こうもまずく炊ける事が信じられない。(おっと失礼)これも1200kカロリで減塩食だからしかたが…。」と思っていた。今週は0.4グラムしか落ちてない。卑しい事してないのに、なぜだろう?
 最後の1週間、ご飯を少し残すことにした。1.4kgマイナス、退院時75.8キロ 4.2キロの減量に成功した。ついに「膝の手術の為の準備入院」が終わりを迎える。

 7月30日にいよいよ退院を迎える。さて、これからおいしい物食べるぞと考えるが、その考え甘かった。
 退院後が自分との戦いだと言うことに気がついた。

  これから秋の手術にむけて少しでも体重を落とすことを医者からきつく言われた。

 私の病名は(変形性膝関節症)。膝関節の軟骨がすり減って痛むらしく、O脚が主な原因。体重が内側に掛かるらしい。抗炎症剤で一時的に痛みを取り除いたとしても、痛みの原因は残ったままだ。それには“高位頸骨骨切り術”が最も効果があるとの事が解った。医者を信じて任せる事にした。私も手術にむけてダイエットしょうとついに決心せざるを得なかった。
 今まではなぜスマートにならないといけないのよ〜(`へ´)プンプン。服も私に合うのあるし〜(*^.^*)エヘッ。糖尿病心配ないしと自分の都合の良いように考えていた。キャハキャハ!!(^Q^)/゛。

 がしかし、事実を突きつけられ、にっちもさっちも行かなくなった。無念。(-人-)ナームー...。仕方なく、今から考えを変えることにした。

 自宅での「地獄の」食事療法が始まる。

 退院時75.8キロ(7月30日)

見出しアイコン まだまだ我慢の自宅ダイエット


体重の移り変わりのグラフ、単位はもちろんkg
体重遷移グラフ

 朝一番の儀式で体重測定をする日課である。口に入れた食べ物ノートに一々記録しなければいけない。

 

 1週間目75.2kg。なぜこんなに頑張っているのに減らないんだ。まだまだ余裕、食欲もまだ我慢できる。

 2週間目74.2kg。ヤッター(一キロ減)。だんだん空腹が身に染みてくる。ご馳走が目に浮かぶ様になる。

 3週間目73.6kg。マァーこんなものかなあー。(お盆もあり子供や大阪からのお客さんあったし外食しました)ので。

 4週間目72.8kg。ダイエットが順調に進む。だんだん疲れがたまってくる。なぜなら、おいしい物は食べたいけれど、カロリーを考えるとお腹いっぱい食べられない。意地である。

 5週目73.4kg。(プラス0.6kg)増えてしまった。友人と三泊四日の温泉に行ったのが悪かったのか。(体重計の事は気にはしていたが。)

 6週目72.2kg(1.2kg減)必死で食べたい欲望を抑え、体重を落とした。

 7週目72.0kg(0.2kg減) 暑さも抜けた9月22日、入院にむけ友人6人で励ます会を温泉でしてくれた。

見出しアイコン 本格手術の為に再入院

 さて、遂にその日がやって来た。膝の手術の為に本格的な再入院をしなくてはいけない。

 9月24日入院(その時点で体重71.4kg)二ヶ月で4.4kg減 三ヶ月で10キロ近くの減量に成功。(なんと米袋2つ分。そんなにσ(^_^;ワタシ?の体にお肉が着いていたのかしらん。\(・o・)/ワァ!。

 大好きなビールを一口も飲まないで頑張ったかいがあった。
9月24日オトーに付き添われて入院した。又、味のない1200kカロリの始まる。
 どれだけ味気ない食事だったかを書くと、このような物である。

朝食・クリックすると大きい画面がでます。 昼食・クリックすると大きい画面がでます 夕食・クリックすると大きい画面がでます

クリックすると大きい画面がでます

朝食 ご飯100グラム2単位 牛乳1単位 味噌汁 1単位 少しの野菜
昼食 ご飯100グラム2単位 薄味の吸い物 チキンのささみと 野菜添え オレンジ1/4
夜食 ご飯100グラム2単位 薄味の吸い物 味のない鮭の焼き物 あんかけ豆腐

注* 1単位は約80kカロリーくらい

 と、マァーこんな感じの食事である。食べ盛りの時に戦後を過ごして来た私には、有り余る食べ物を目の前にして我慢するのが大変だ。
 今年しばらくの我慢と思い、自分に言い聞かせ、夢にまででてくるご馳走を払いのける。自分との戦いだ。

 入院して一週間後の予定の手術が麻酔の先生の都合でのびにのびて10月20日が行われる事になった。手術決定時の体重70kgを割る。


見出しアイコン 手術当日 (^。^*))((^O^)v

 手術当日となった。朝から風呂に入らされる。ベットの上で昼からの手術を待つ。午後1時30分、ストレッチャーに乗って手術室に入る。
 自分で言うのも何だが、肝っ玉だけは大きいと自負しているわたしは、  「(○`ε´○)フンフン!!、手術なんて怖くないわよ。どーんと来いだ。」と大きく構えていたつもりだった。が、しかし、実際に目の前に手術が迫るとやっぱり不安になる。「σ(^_^;ワタシ?って気が小さいの、そんな訳ないよ、(`へ´)プンプン」と認めたく無いは、自分の気持ち。

 気が大きいつもりの私だが、やはり胸がどきどきする。テレビの「ベンケーシー」で見るような感じで手術室に運ばれて行く。 手術室に運び込まれると、先生達も手術着をきておられ、天井には丸い大きなたくさんの電球が目にはいる。3人の先生。2人の看護士さんが私を囲んでいる。

 不安を取り除いてくれるくれかのように、看護婦さんが両手で手を握ってくれ 「心配ありませんよ安心してください。」と声をかけてくれる。どこからか静かな音楽が聞こえていたように思えた。
 手術の前準備として注射をしたりする。そのあいだじゅう両手を握ってくれる。 「堅くならないでね。注射する時は言いますから。」と可愛らしい看護婦さんが声をかけてくれる。麻酔の先生が、
 「いまから痛み止めを脊髄にいれます。今から眠くなりますよ。」と言われる。(「麻酔しますよ。」と言われなかったのは救いであった。もし言われていたら心臓が張り裂けていたかも…。無論、痛いのは覚悟のうえだが。)

 意外と痛くなかった。なるほど安心出来るように心遣いをしてくれる。  それからわからなくなった。

「北野さん・・・終わりなしたよ。」と
どこからか声が聞こえてきた。体が硬直して自分の物で無い感じだ。とても寒い。体中を暖かいもので覆ってくださった。(オトーが心配そうな顔でのぞいてくれていた。)オトーありがとう。
 消灯の時間がきて、オトーも帰っていった。なんだか不安な気持ちである。麻酔が覚めないのか、うとうとしていたが喉が渇いてきた。ナースコールを押す。水は飲めないので口を何度も湿してもらう。若いかわいい看護士さんありがとう。彼女は、熱、血圧を何度も計に来て、声をかけに来てくださった。地獄に仏とはこの事だ。


見出しアイコン リハビリの苦しくも楽しい日々

 朝になり担当医が気分どうですかといってこられた。私気分爽快ですよと答える。(強がりの意地っ張りの私。気分良いはず無いのに。)でも思っていたより痛みがない我慢できる範囲だった。

 翌日の21日 朝食が出が食べられない。  ビロウな話だが、便秘したことの無い私は大便を二度もする。 始末をしてくださった看護士さんありがとう。いつもの顔で始末をしてくださる。さすがプロだ。昼からベットの上に座ることが出来た。これも予想外。

 22日 大便1回。体がずいぶん楽になった。夕方足のリハビリの機械に足を固定し角度をきめ膝の曲げ伸ばしの運動をする。

 23日 朝から点滴がとれる。初めて車椅子で便所にいった。

 24日 昨夜はよく眠れた。ようやく体から全部の管が取れた。お陰で良く眠れる様になった。

 手術後のリハビリが思ったより早く始まった。
 膝の手術のリハビリは思ったよりは楽であった。まずは膝を30度曲げる事から始める。
 1時間の大仕事だ。足にギブスの様な工具をつけて機械で足を曲げられる。機械にお任せでらくちんらくちん。

 今日は気分が良いので、新聞をまとめて読む。(入院長くなるのでいつも読んでいる新聞を配達してもらっていた。)
 オトーにたのんでニギリ寿しを買ってきてもらった。ひさしぶり美味しい物にありつけ涙がでる。(主治医には内緒(⌒^⌒)bうふっ。)

 25日 日一日と元気がでる。朝な夕なに笑顔の素敵な主治医が顔をだしてくださり安心する。

 10月31日 なんとか立てるようになったので今日は体重測定であった。68.6キロ(12日間で0.8kg減)

 車椅子で洗面や便所と行けるようになる。体重もすこしずつ落ちはじめてきた。

病室の少年少女達

 足の痛みもやわらぎ、車いすで自由に行動出来るようになったら退屈になってきた。
 病院の廊下で同年齢の人たちとも話すようになった。患者達が自然と私の周りに集まる様になる。廊下の隅にある椅子に座りどうして、入院したか、現在どういう状態なのかと話が弾む。時間が早くすぎていった。
 その少年少女達とは…

 五島から来た50歳のアル中ぎみのお茶目な少年。
 60歳台のマドロス少年。。
 50歳前後の可憐なおしゃべり少女達3人。。
 60歳台の細目の少女、貫禄がある少女達。。

 この集団が車いすや杖をついて廊下に集い、青春のお喋りに花を咲かせるのである。

 この少年少女達の中で、「アル中ぎみのお茶目な少年」が退院する事になった。
 そこで入院患者ならではの「送別会」が開催される事になった。廊下の脇の談話スペースに集まった少年少女達は、ありもしないビールをそそぎあう。  「きょうは退院祝いだから、盛大にいかなくちゃ。」とありもしないビールを注ぎあう。  「私飲めないかな、少なめににね。」
 「では、とくとくおとく〜」と口で言う。
 酒もつまみもない宴会で少年少女達は妙に酔いしれていた。はたから見目は、あきらかに、「他の科」の休憩室と変わりがなかろう。

 11月14日 松葉杖になる。車いすより 松葉杖のほうがきつい。

 11月21日 松葉杖でもリハビリ一の環として、「使い方」があるらしい。左足にかける加重を1/3にするように調節と訓練がある。

 11月28日 松葉杖にかける加重は2/1になった。レントゲンを見せてもらう。足の中に金具がありぎよっとした。
 O脚は治り真っ直ぐになっていた。

 11月29日 体重測定67キロ。

 12月1日 体重66.8キロ 自転車こぎを始める。膝がびっくりして、痛くて回らない

 12月2日 体重66.2キロ サドルを高くしてもらったら、3分位ゆっくりとまわす事ができた。

 12月6日 やっと自宅への外出を許される、夢にまで出てきた刺身や寿司を食べる。

 12月8日 体重66.6キロ…増えてしまった。
 油断して美味しい物の誘惑に負けてしまった私。(ノヘ;)シクシク.. 体重計は正直。

 12月10日 体重66.0キロ 病院の友達が外出した度になにやらおみやげをもってきてくれる
 始めの頃は丁寧に断っていたが、なれ合いになり「マァーいいか。」と言っていただく様になる。危うし<私。

 12月13日 待ちに待った外泊日o(^^o) (o^^o) (o^^)o キャアキャア♪
 久しぶりに炊事場に立ち料理をする。30分も立っていたら足が痛い。棒のようになり動かない。こんなはずではなかったのに…。無理は出来ないんだ。

 12月15日 体重が67キロになっていた…。 びっくり!!!。
 ダイエットは運動も大切だけど、あまり食べな過ぎない事も重要と思った。

 12月20日 体重は65.6キロ 退院の日が近づいた事だし、何とか体重を65キロまでと思っていた。
 だが、やはり世の中は誘惑が多い、知らない間に食べてしまっているみたいだ。なんと、外泊66.6キロになっていた。

 12月25日 長〜い入院生活終わり。!! その時点の体重は66.2キロ。



見出しアイコン 最後に謝辞を


ダイエット後の姿
ダイエット後の姿

 90日間の入院生活が無事に終わったことは、主治医の先生始め、看護婦さん、たくさんの友達の励ましに支えられたからと感謝しています。
 いちばんの理解者の我が家の愛するオトーさん。毎日見舞いにきてくれてありがとう。何も心配しないで養生出来たのもオトーのおかげです。
 今後ともよろしくお願いします